著作権(C) 2014年 小池勝 

 

日本には財産権で被害を受けている人やその被害件数は、

ほぼ無数と言っていいほど身近に溢れ返っています。

 

しかし私たちには妙な習慣や言い伝えがあり、法律問題を、

誤った精神論や過去の常識で終わらせてしまう場合があります。

我慢や目上の者対する尊敬の言葉が誤りの基なのです。

 

勝海舟はその著書、実際は門弟の記憶を集めた本「氷川清話」の中で、

福沢諭吉を評して、「人はただでさえ権利権利と言いたがるのに、

著名な人間まで人々に権利思想を煽るのは困ったことだ」と言っています。

 

明治元年は1868年なので、現在2014年から数えると既に

146年目となっています。

それでも日本人の権利思想はこの程度です。

 

そこで【新司法修習生、就職難が加速】と言う昨年の新聞ニュースを読んで下さい。

あえて業界と言う言葉を使うと、弁護士さんの業界には、マーケティングと言う言葉はなく、

未だに彰義隊や五稜郭での生き残り隊士のごとく「誰か」や「何か」を信じていれば

善いと思っているようです。

 

私は今年で満75歳の零細企業出身の老人です。

ですからあまりに多くの権利が無視されているこの時代は,弁護士さんにしてみたら

今流行りのドクターみたいにぼろもうけのチャンスに見えるのです。

 

処が厄介なことに法科大学院入学志願者は激減しています。

社会問題と、個人の将来性見通しとが独立して存在しており、

社会問題と社会正義、個人の将来性やら所得の確保について、

法曹界全体が何の見通しも持っていないような印象を持ちました。

 

財産権毀損の黙認

日本では、個人の財産権侵害を法律で裁く歴史が短く、大名の

徴税権や司法権が士農工商の頭上にかぶさっていました。

 

今でも、共産主義国家の私権は国権に従属し、地方行政は、中世日本の

お代官様同様の権利を持っています。

フィリピンの8000近くある島のうち、有力者が私兵を持ち、一部の

裁判権を有している現実は、未熟なデモクラシーの見本です。(バランガイの存在)